2005年06月12日

目的が曖昧なまま作成され続ける資料(死料)

組織というところは、とにかく資料があふれています。
おそらく、中にはあなたが一度も見たこともない資料も多いでしょうし(いや、実際は見たことのない資料のほうが圧倒的に多いかもしれません)、現在どんな資料があるのかその全部を知っている人はいないのではないでしょうか。
20年近くの仕事人人生の中で常々疑問に思っていたのは、いったいぜんたいこれらの資料の中で、どれぐらいの資料が有効に活用されているのだろうかということです。

資料というのはボリュームがあればあるほど、作成するのに時間がかかるし、読むのにも時間がかかるし、さらには理解するのにも時間がかかります。
そういう点では、仕事で使う資料は、簡潔に要点がまとめられ、要領よく作成されることが重要です。
いくら見栄えのいい資料でも、読み手が大変な思いをして理解に努めなければならないものならいい資料とはいえないでしょう。
他人に読んでもらう資料は、決して自己満足で作ってはならないのです。


資料作成において、もう一つ大事なことは、その資料作成の目的が明確であることです。
目的が曖昧な資料は、活用されることが少なく、中にはまったく活用されることもなく死料化してしまう可能性があります。
死料化しても、作成が中止されることもなく続く結果、ファイリングが続き、そして余計なスペースまで占めてしまうのです。
誰かがこの資料を見直す機会がなければ、資料は作成され続け歴史を積み重ねていくことでしょう。

冗談のように聞こえるかもしれませんが、実際、私自身の経験でもこういう事例はあったのです。
前任者から業務を引き継いだ際、私が前任者に「この資料は本当に活用されているんですか?もし活用されていないのだったら廃止してもいいのではありませんか?」と聞いたところ、前任者曰く「実態はよく知らないが、これまでずっと作成し続けてきたのでここで止めるのはよくない。だから、引き続き作成してもらいたい」と。
もはや、この時点で資料を作成する目的が曖昧になってしまっているのです。

自分がその資料を作成する担当者だったとき、誰もその資料を活用してくれなければ、こんな寂しいことはないですよね。
モチベーションだってどんどん下がっていくことでしょう。
これは極端なケースかもしれませんが、組織の中では、近い例はたくさんあるはずです。
作成したときは必要な資料だったが、歳月が流れていくうちに状況変化等もあって必要性がなくなるということはよくあります。
それなのに誰もその資料の廃止を決めないものだから、ずるずる惰性で作成され続けてしまうのです。

社長、専務、常務の指示で作った資料なので、必要性がなくなっているのに、部長や課長では廃止の判断ができず、とりあえず担当者に作成させ続けるなんてことは、サラリーマン社会ではありうることです。
部長や課長が最初に作成を指示した社長、専務、常務にあらためてその資料の必要性について確認すれば済む話しなのですが、肩書きが高くなればなるほど遠慮してしまい、結局現状維持でいってしまうというわけです。
その結果、資料ならぬ死料が増えてしまうのです。
それが何を生むのか、そう、無駄なコストを生むのです。

そういったことを考えると、継続的に作成されている資料は、時々目的を問い直してみる必要があるでしょう。
その時点で必要性があると判断するなら作成すればいいでしょうし、逆に必要性がないと判断するなら廃止するべきです。
たんなる慣習で目的の曖昧な資料を作成すればするほど、どんどん無駄なコストを増やし、そのことが収益を低下させ、生産性を低下させていくということを認識すべきではないでしょうか。










kaizennooni at 21:48│Comments(0)TrackBack(0)clip!改善の難点 

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